仏画
2022年02月06日
大報恩寺 聖観音菩薩 を水彩で描いた
今日のワードは
『聖観音菩薩』 です
本物の 大報恩寺 聖観音菩薩像はこちら
木彫のお顔がなんとも凛々しい!!
顔の表情を描くのが難しくて
何度もやり直したけど結局、
超シンプルにしてしまいました(>_<)
そして随分ぽっちゃりとなりました。(/・ω・)/アレレ
ぜしん‐ぜぶつ【是心是仏】とは
1 人間の日常の心は絶対の理法をあらわす心でもあるから、
仏そのものである、ということ。
仏そのものである、ということ。
2 仏の観想を成就した心はそのまま仏と一つである、
ということ。
大報恩寺の六観音像の一つがこの聖観音菩薩
正観音とも書き、六観音の一尊でもある。
観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)像には、
さまざまな形態のものがあるのですが
諸説色々あり、お寺によって名前も色々です。
諸説色々あり、お寺によって名前も色々です。
六観音とは、真言宗では
聖(しょう)
千手(せんじゅ)
聖(しょう)
千手(せんじゅ)
馬頭(ばとう)
十一面(じゅういちめん)
准胝(じゅんでい)
十一面(じゅういちめん)
准胝(じゅんでい)
如意輪(にょいりん)
の観音を言います。
の観音を言います。
大法恩寺HPより
運慶の弟子である定慶の作 貞応3年(1224)で、
聖、千手、馬頭、十一面、准胝、如意輪
六道信仰に基づいて作られた
六体の観音像
六道信仰に基づいて作られた
六体の観音像
ここでは
全国で唯一、六体一同に安置されている
観音様を拝むことができます。
全国で唯一、六体一同に安置されている
観音様を拝むことができます。
私は有名な東大寺南大門の金剛力士像を造られた
快慶さんが特に好きで、
彼の属していたのが慶派と呼ばれる
彼の属していたのが慶派と呼ばれる
仏師の集団がありました。
定慶さんはその兄弟弟子で鎌倉時代の仏師です。
大報恩寺 HP
リンク
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otenki315 at 19:17|Permalink│Comments(0)
2020年07月22日
これもまた過ぎ去るだろう(注)うんちく長め
今日のイラストは東大寺の阿弥陀如来さま
を模写していたら、髪の毛を描きたくなって
そしたら、飾り物とか付けたくなって
衣装も虹色に輝いてたらいいなーと思っていたら
こんな風になってしまいました。
(すみません 汗)
似ているのはポーズだけですね。
仏さまも如来さまクラスになると
悟りを開かれているので
髪飾りや首飾りなどしないんだそうです。
今日のワードは
『これもまた過ぎ去るだろう』
A NEW EARTH
エックハルト・トール著
(サンマーク出版)より
エックハルト・トール著
(サンマーク出版)より
この簡単な言葉にそれほど大きな力があるのだろうか?
これは困ったときには多少の慰めにはなっても、
良いことが起こったときには
かえって人生の喜びを半減させてしまうように思われる。
「あまり有頂天になるな。
これもまた過ぎ去るのだから」
と言っているように聞こえるからだ。
と著者は語ります。
と言っているように聞こえるからだ。
と著者は語ります。
この言葉の深い意味は
目の前の出来事に抵抗しない
起こった出来事をまるごと受け入れる
起こった出来事をまるごと受け入れる
ことのすばらしさを教えているそうです。
また、
また、
判断しないという知恵
すべては無常であり移ろうものと知れば
すべては無常であり移ろうものと知れば
執着せずにすむ
ことを教えているのである。
抵抗しない、判断しない、そして執着しない。
この三つは真の自由の、そして悟りを開いた
生き方の三つの側面なのだ。
生き方の三つの側面なのだ。
・・・・だそうです。
うーん、どれも言葉はシンプルだけど
実行するの難しそうです。
実行出来たら、仏さまレベルかも!
すべての状況は変化し
すべての形は (良いものも悪いものも)
一時的でしかないと気づきなさいということだ。
形は無常‼
どこかで聞いたことありますね。
すべての形は (良いものも悪いものも)
一時的でしかないと気づきなさいということだ。
形は無常‼
どこかで聞いたことありますね。
すべての形は無常であると気づけば、
形に対する執着も、
形への自分の同一化も減る。
形とは何でしょうか?
形式?見た目?!
同一化とは?
こうありたい、あらねばならない!
ということでしょうか?
形とは何でしょうか?
形式?見た目?!
同一化とは?
こうありたい、あらねばならない!
ということでしょうか?
執着しないとは、
この世界が提供してくれる良いものを
楽しまないことではない。
楽しまないことではない。
それどころか、もっと楽しむことができる。
すべては無常で変化が不可避であることを
知っていれば
知っていれば
楽しいことを失うのではないかと恐れたり
将来を心配したりせずに、
将来を心配したりせずに、
楽しいことが続いているあいだは楽しむことができる。
執着しない人は
すべてを見通す一段高い視点に立つことができる。
うーん、やっぱり 仏さまレベル!
うーん、やっぱり 仏さまレベル!
これもまた過ぎ去るだろう、
という認識は無執着につながり、
無執着 → 執着しない、判断しない、
→ 内なる抵抗をやめる
→ 内なる抵抗をやめる
本来のあなた → 形という牢獄から解放される。
そうなればこの世界の出来事を楽しみ尊重しても、
そこに本来あるはずのない重要性や意味
を見出したりはしなくなる。
期待を捨てれば、
自分で創り出している
苦しみはすべてなくなる。
苦しみはすべてなくなる。
これもまた過ぎ去るだろう、
という言葉は、
という言葉は、
現実への道標だ。
すべての形は無常であると示すことで、
逆に永遠をも指し示している。
逆に永遠をも指し示している。
あなたのなかの永遠なるもの、
それだけが無常を無常と認識できる。
それだけが無常を無常と認識できる。
感覚の喜びに溺れも執着もせず
つまりこの世界に依存せずに、
つまりこの世界に依存せずに、
ものごとを楽しむことができる。
無常を無常である、と認識できたときに
世界が新しく変化したごとく輝いて見えるんだろうか?
そうあってほしいです。
そうあってほしいです。
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otenki315 at 12:00|Permalink│Comments(0)