奈良
2023年02月17日
法隆寺!薬師如来坐像の秘密!!!??

今日の話題は
『 法隆寺 薬師如来坐像 』
です!!
法隆寺といえば世界遺産!
敷地は広大で沢山の仏様が祀られています。

金堂(左)と五重塔(右)
その中でも今回 特に注目したのが
薬師如来さんです!

Wikipediaより
実物はとても地味目な印象です。
面長の顔は現代人と似ています。
今回は飛鳥時代といえば?
と勝手なイメージでブルーとブラウンで
描いてみました。
薬師如来像の後ろにある光背裏面の銘文に
法隆寺創建の由来が刻まれています。

銘文の拡大図

それによれば太子の父、用明天皇が
自らの病気平癒を願い、
自らの病気平癒を願い、
寺と薬師如来を作ることを請願されましたが
完成を見ることなく崩御されました。
完成を見ることなく崩御されました。
その後推古天皇と太子がその遺志を継ぎ、
推古15年(607)完成させたと記されています。
推古15年(607)完成させたと記されています。
ここでの『太子』が現在、聖徳太子と
呼ばれている存在と云われています。
しかしですよ
法隆寺の御本尊
(中心の仏様)は
この薬師如来さんではなく
金堂の中心におられる
釈迦如来さんだそうです。
(下の写真の左側)

こんな風に並んでおられます。
釈迦如来さん(左)と 薬師如来さん(右)とは
釈迦如来さん(左)と 薬師如来さん(右)とは
アタマのホツホツ以外は
一見してそっくりに見えます。(*^▽^*)
(まあどの仏像も同じく見えなくもないですが)
一見してそっくりに見えます。(*^▽^*)
(まあどの仏像も同じく見えなくもないですが)
釈迦如来さんの光背の裏面には
推古30年(622)に聖徳太子が発病され、
その病気平癒を願って太子等身の像が、
造られたと刻まれています。
つまりこの像は、
釈迦の像でありながら
聖徳太子その人の像でもあるわけで、
聖徳太子その人の像でもあるわけで、
法隆寺が太子菩提の寺
でもあることを物語っています。
でもあることを物語っています。
まあどちらがご本尊でもおかしくない
由緒書きですね。
しかし「日本書紀」天智9年(670)の条に
法隆寺がすべて焼失したと記されており、
法隆寺がすべて焼失したと記されており、
現在の法隆寺はその後の再建と考えられています。
釈迦三尊像と薬師如来坐像の建造年度
またその台座についても
制昨年度が違っていたりと
諸説さまざます。
という訳で
法隆寺の元々の御本尊は
金堂の中央に座している
釈迦三尊像ではなく
この
薬師如来坐像
ではないか!!
という説も大いにありうるな~と
感じました!



で、ここからが
今回の大事なポイントです!
飛鳥時代の仏様たちは
実際に私たちの家に来て
救って下さるのだそうです!
なんとありがたい!!



著者の桜井識子さんは神仏の声が聞こえる方です!
平安時代以降の日本の仏様は
仏像から仏様の世界につながる道が
あるといいます。
それに対して
飛鳥時代の大陸から来た仏教では
仏さまは
フットワーク軽く草履をはいておられて
人々を救いにおもむかれる
のだそうです!!
来てくれるってなんか親近感ですよね!!
信じるかどうかは
まあ
あなた方しだいです!!!
というところですが(*'▽')
詳しくはこの中に!!



リンク
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薬師如来坐像をよく見たい方はこちらから
アルカイックスマイルをどうぞ!



奈良国立博物館の展示です
写仏したくなった方はこちら!
ラインナップがしぶいです!



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otenki315 at 18:00|Permalink│Comments(0)
2020年11月19日
キトラ古墳の白虎の復元図を描いてしまいました!!
キトラ古墳の見学に行ってきました。
予約制で限定公開だったのですが
割と簡単に取れました。
とゆーのは一年に4回の公開があるからです。
そして行ってみて初めて分かったのですが(汗)
壁画を全部いっぺんに見られる訳ではありません。
古墳内部の石室の4方の壁面と天井部分に、
それぞれ絵が描かれていて
その5つは4回の公開で
分けて見学できる、とのことです。
今回公開されたのは西を司る神さま、白虎です。

龍のような身体にトラの手足があるように見えました。
東の壁面の青龍と同じ身体かたちで、
対になっているのだと考えられています。

そしてもう一つが、今回の目的の天井の天文図です。
天文図の中で描かれている星は
小さい丸い金箔で表されていました。
その中でも一等星にあたる大きく輝いていた星は
一回り大きな〇になっていました。

そして西に銀箔の月が
東に金箔の太陽が印されていたのが
印象的でした。

私は石室の中を よっこらしょと
覗けるものだと思い込んでいたのです。
しかし石室自体は、元の形に戻されて
閉じられているそうです。

壁画は石の壁に塗られた漆喰の上に描かれていて
その絵を、なんと6年4か月かけて
1143片に分けて取り外して復元。
水平のテーブル状の台の上で公開されていました。
中国の風水では、東西南北の四方位には、
方位を守護する禽獣の神(玄武・白虎・朱雀・青龍)
が宿ると信じ、その中心はあらゆる厄害から守られ、
永遠の繁栄を招くと考えられてきました。
方位を守護する禽獣の神(玄武・白虎・朱雀・青龍)
が宿ると信じ、その中心はあらゆる厄害から守られ、
永遠の繁栄を招くと考えられてきました。
それのパワーを築城に取り入れていたのが
伊達政宗公でした。
日本では自然環境エネルギーの作用を
大地の形状でとらえ、この4つが揃うと
「四神相応の地」と称して大吉相と尊ぶそうです。

仙台市の地図です。
中央左下の赤丸が仙台城で
四神の位置を山や神社仏閣に見立てています。
ここが四神に守られる訳ですね。
もちろん昔から関西にもあります。
昔の人々のほうが、目に見えない力を
捉える感覚があったのだと思います。
最後に今回、キトラの記念館で買った
ストラップです。


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otenki315 at 20:55|Permalink│Comments(0)